浪江町へ移住してきて、およそ2週間が経過しました。
いまだに、引っ越し後の片付けや、行政手続き、補助申請の書類提出など、細やかな作業に追われています。
そのため、住んでいる人や店などもまだまだ知ることができず、町の地理を覚える暇さえなかなか取れない状況です。
それでも、早朝ガーデニングに水をやる瞬間に聞こえる鳥たちの声や、農場へ向かうときにふと横で流れる清らかな川のきらめき、生活の拠点として一つだけあるスーパーの店員が対応してくれる温かな優しさ、観光客や地元客問わず人が行き交う道の駅の喧騒。
そんな、のどかな町の息遣いを感じる時、"人らしい生き方"が叶うそんな予感がします。
引っ越してよかったなと、心から感じています。
一方で、やはり震災により失われた文化や生き方は、少なからず確かにあるのだと、毎日実感します。
道をゆくと目にする、雑草が生い茂り誰もそこで暮らしていない家屋や、寂れた公園。
すでに取り壊された施設への案内看板。
今、国や行政は、元住民が戻って来やすいように少しずつ整備を進めているし、移住者の受け入れも進めています。町の企業や店についても同様、少しでも町に戻ってきてほしいと様々な取り組みをおこなっているようです。
でも、必死に取り戻そうとしている生活や伝承も、きっと昔と同じような営みには、もとの生活には、戻りません。
だって街の環境だけではなく、それを取り巻く人の心が、町を見る目が、そのほとんどが、どうしても変わってしまったから。
前と同じ町は難しくても、震災を経験したからこそ、より良い"浪江町"のカタチがあるはず(福島だって、東北だって、日本だってそう)
そして、できれば私のようなソトから来た人でも、その中で貢献できるのではないか。
様々な試みに挑む人々が集まる"浪江町"。そんな町になれば、なにかおもしろいことになるんじゃないか。
そんな期待を感じて、私は浪江町へやってきました。
新しい町のカタチが、昔から住んでいた地元の人に受け入れられるかは、きっと難しい部分もあると思います。
万人に受け入れられる選択肢を探すのは、汚染水問題やエネルギー問題を見るだけでも、現実的に不可能なことは周知の通りです(もし誰からも支持される選択肢・未来があるのなら、それは緻密に設計された情報操作・戦略により、一時的に盲目になってしまっているだけなんでしょうから)
それは十分承知しているのですが、それでもやっぱり正直、私みたいな、"町の歴史も文化も知らない若者"(30歳だけど気持ちは若いつもり)が、突然やって来て何言っているんだと思われないか、不安な気持ちはあります。
でも、自分が選択した道に責任と自信を持てば、その都度、きっと良い方向に進むことはできる。
春になると、日本各地で桜が咲き誇っています。
ソメイヨシノは、全て一本の木からのクローンだということは、有名な話です。
クローンということは、遺伝的にはほぼ同一個体。
ならば、とある土地の桜がすべて刈り取られてしまって、それから別の土地の桜を移植しても、何も変わらず元通り、ということなのでしょうか。
生物学的にはそうかもしれません。集団遺伝学から考えると少し違うかもしれません(地域集団の観点で)
ただ一つ私が思うのは、その土地に生きていたのはソメイヨシノというただの"カテゴリ"ではなく、一本一本それぞれが各々の歴史を持つ一つの"個体"だということです。
桜の下での告白、川の氾濫や人々の嘆き、花見での宴会。それを知るのは、そこに生きてきたソメイヨシノそれぞれの個体のみ。
人の暮らしも、きっと桜と同じ。
別に同じ町じゃなくても、同じように美味しいご飯を食べ、お金を稼ぎ住まいで暮らし、なんなら似たような生き方も選べるかもしれない。特に困ることはないのかもしれない(特に交通と情報網の発達した現代じゃ、自分の故郷にとらわれる若者はきっと少ない)。マクロなカテゴライズで見てしまえば、あまり大きな違いにはならない。
それでも、場所が変わると、同じにはやっぱりどうしてもならない。
今年の春に私達を迎えてくれた浪江の桜は、とても綺麗でした。
昔からそこで生きてきたんだと。一緒にいきてきた人たちが確かにいたんだと。
そう、言っているように思いました。
先人たちの思いを汲みつつ、新しい町を作っていけるよう頑張りたいと思います。
そしていつか、「浪江町に引っ越してきてくれて良かったと」、そう思われるような人になれるよう。
追記:
富岡の夜ノ森の桜も、今年から全面復活したそうですね。
初めて見に行きました。上弦の月が晴天に浮かぶ、きれいな夜桜。
妻は家族で良く見に来ていたそうです。きっとこれからも見に行くと思います。来年も、再来年も。